ダメ親と呼ばれても学年ビリの3人の子を信じてどん底家族を再生させた母の話

 

【 年間120冊読書計画 24冊目】

 

 

「ダメ親と呼ばれても学年ビリの3人の子を信じてどん底家族を再生させた母の話」
 
 
 ああちゃん、さやか 著 読了。
 

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■「ダメ親と呼ばれても学年ビリの3人の子を信じてどん底家族を再生させた母の話」の背景

 
 
 「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」という作品が大ヒットしましたが、そのサイドストーリーのような位置づけの一冊が、「ダメ親と呼ばれても学年ビリの3人の子を信じてどん底家族を再生させた母の話」です。
 
 「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」では、そのタイトル通りの学年ビリのギャル(さやか)が、1年間 著者の坪田先生の元で勉強に励み、見事偏差値を40も上げて慶応大学に合格した、というストーリーが描かれました。塾でさやかちゃんの成長を見守った坪田先生の目線で描かれたストーリーの中では、さやかちゃんのおばかエピソードや奇跡的な成長を見せたエピソードの他に、さやかちゃんの母親(ああちゃん)についても紹介されていました。
 
 ああちゃんは、どんな時でも娘や息子を信じて行動する力強い母親という印象で、さやかちゃんの素行不良で学校に呼び出された時も、娘をかばい先生と真っ向勝負する場面などが出てきます。
 
 確かに、一般的にイメージされる母親とは違った、子ども達への揺るぎない信頼と力強い意志を持った母親といった印象で、「すごい母ちゃんもいるもんだな」と思いながら読んでいました。
 
 
 そして、「ビリギャル」という総称で親しまれるようになってきた頃、坪田先生のところには非常に多くの反響があったそうです。さやかちゃんに対する励ましの言葉やお褒めの言葉、感動の言葉など、数多くの手紙やメールが届きましたが、中には「ああちゃん」に対する反響も多く含まれていたのだそうです。
 
 「ああちゃんってすごい!もっとああちゃんの気持ちや考えが知りたい!」
 
こんな言葉を多くいただいている内に、「この反響は本という形でお伝えするべきなのでは?」ということになり、「ダメ親と呼ばれても学年ビリの3人の子を信じてどん底家族を再生させた母の話」が執筆されることとなったのです。
 
 「ダメ親と呼ばれても学年ビリの3人の子を信じてどん底家族を再生させた母の話」では、ああちゃんの生い立ちや、さやかちゃんの受験期についてああちゃん目線で描かれているストーリーの他に、さやかちゃんの弟や妹のエピソードも盛り込まれています。ストーリーの合間に、さやかちゃん目線で受験当時のことについて書かれたサイドストーリーも入っています。
 
 坪田先生の目線とはまた違った、親目線、自分目線の内容には、それぞれの性格がうまく現れた、どれも読み応えのある内容に仕上がっていると思います。
 
 
 
 

■さやかちゃんの受験期を少し振り返ってみる

 
 
 さやかちゃんは、エレベータ式で進学ができる高校に通っていたので、そのまま大学へ進学する事もできる環境にはありました。しかし、成績もビリ、素行も悪いと先生から目をつけられていて、エレベータ式の学校とはいえ、進学は厳しい状態にあったのですね。
 
 それでもああちゃんは、ちゃんと大学へ通わせてあげたいという気持ちから、さやかちゃんを坪田先生の塾へ連れていきます。
 
 最初は、「このギャル、何しに来たんだ?」と思ったと坪田先生は話していますが、見た目とは正反対の礼儀の良さと、はきはきとしゃべる姿に、良い子だなと思ったそうです。さやかちゃんも、「この人、すげー頭良さそうだし、面白い人だな」と感じたそう。後に、さやかちゃんは坪田先生の塾に入塾し、勉学に励むようになります。
 
 そもそも、なぜ慶応大学を目指すようになったのかというと、頭の良い人は面白い人だと感じ始めていたさやかちゃんに対して、
 
「慶応くらい目指したら?かっこいいじゃん、慶応大学」
 
といったノリで慶応大学を薦め、頭の良い大学なら面白い人もたくさんいるはずだ、と慶応大学を目指すようになったのでした。
 
 入塾当初は本当にわからないことが多すぎて、小学生レベルの科目もあったほどでした。坪田先生はそのたびに、小学生レベルなら小学生の教材、中学生レベルなら中学生の教材というように、レベルを戻して勉強させていくスタイルで進めていきました。
 
 聖徳太子のことがわからず、「せいとくたこ」と読んでしまうほど、勉強はしてきておらず、勉強とは関係のない常識問題にも疎かったそうです。社会は流れで、楽しみながら勉強しないといけないからということで、漫画で描かれた図解の歴史本を繰り返し読ませて定着させたのだとか。
 
 
 とにかくスタートはどん底だったさやかちゃんですが、どんどん勉強に楽しさを見出し、昼夜を問わず勉強に励み、成績をあげていきます。
 
 ストーリーの中では、この中での紆余曲折や成長体験、その時の家族の状況や塾の状況など、事細かにリアルな状況が描かれています。
 
 
 

■ ああちゃんの考える「子育て」の一部分を見てみます

 
 
 ああちゃんは、その強気な性格と子供の事は何があっても信頼するという性格から、独自の子育て哲学のようなものを持っていました。一般的に言われている子育てとはちょっと違うなと感じましたので、私が驚いた・印象に残ったフレーズを引用しながら、ああちゃんの子育て哲学を見ていきましょう。
 
 
 
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子どもがふざけた行動をしたときに、それを叱ってやめさせるべきではありません。
 
 
その行動の真の意味が「家族を笑わせたい」という欲求だった場合、子供は「家族を笑わせるのはダメなことだ」と覚えさせてしまうからです。
 
「叱る」とは、ある行動を否定し、禁止する「罰」の一種です。
 
小さい頃に叱られた子供は、その行動をしてはならないというイメージを植え付けてしまうのです。
 
 
もちろん、叱らなければいけない場面もあります。
 
 
しかし、なんでも叱っておくことが「しつけ」だという考え方は間違っているのではないでしょうか。
 
 
叱らなきゃという場面があったら、子供のその行動にはどんな意味があるのか?と考えてみましょう。
 
 
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(「ダメ親と呼ばれても学年ビリの3人の子を信じてどん底家族を再生させた母の話」より一部抜粋、一部てかてんの言葉で書き直してまとめたものです。)
 
「この子は叱られなれていない」とか「親がしっかり叱ってこなかたから・・・」と言われることがありますが、ああちゃんにとっては何でもかんでも叱って良いとは思っていないようです。確かに、絶対間違っていることについては叱って「ダメなことなんだ」と教えることは必要です。しかし、その行動が子どもにとってどういう行動だったのかは考えてあげる必要がありそうです。
 
 言うこと聞かずにふざけてばっかりの子供は、初めてふざけた時に母親が笑ったから、「ふざけるとお母さんが笑ってくれる」と思って、繰り返しふざけているのかもしれません。
 
 つい騒いでしまう子供は、落ち込んだ家族の前で騒いだとき、その姿に家族が元気を取り戻してくれたから、「騒げば家族が元気になる」と思って、繰り返し騒いでいるのかもしれないのです。
 
 そこまで考えてみて、人の行動を見てみると、実は怒らなくても良い場面は多いのかもしれません。もちろん、相手の気持ちや行動の「本当の意味」がわかるまでには長い付き合いや観察が必要ですが。
 
 
 
 
それでは、24冊目 読了です。
 
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