【書評】「むらさきのスカートの女」(今村夏子)読めば分かる「狂気と狡猾」

 

【第161回 芥川賞受賞作】むらさきのスカートの女

 

「むらさきのスカートの女」

今村 夏子 著

 

こんにちは、てかてん(@tekaten)です。

 

今回は、今話題の「むらさきのスカートの女」を書評していきます。

ずっと気になってはいましたが、なかなか手を出さずにいた本だったので、この機会に読みたいなと思いました。

 

特に、近頃はTwitterで「むらさきのスカートの女」の読了ツイートがたくさん出回っていましたし。

出版後もずっと人気の作品であることがわかったので、気になって読むことにしました。

 

話題作だけあって、本当に面白い作品でしたね。

あっという間に引き込まれて、一気に読みきってしまいました。

ちょっと不思議な世界観の作品ですが、多くの人に楽しまれていることは理解できた感じです。

 

さて、それでは書評に入っていきましょう。

 

※ 今回はネタバレの内容を含みます。

 未読の方、これから読もうとしている方、この先を読む場合はご注意ください

 

今回のトピックはこちら!

 


  • むらさきのスカートの女とは?

  • あまりにも知り過ぎている狂気に気がつき始める
  • 「わたし」に対する説明が少なく先入観を持ってしまう
  • 強烈に面白い作品を読んだ読了感 
  • 終わりに
  •  

     

    むらさきのスカートの女とは?

     

    「むらさきのスカートの女」とは、作中に登場するまさに「むらさきのスカート」を履いた女性のことです。

    主人公は、いつも「むらさきのスカートの女」を追いかけているような描写で物語がスタートしていきます。

     

    序盤で解説されるのは、どこの街にも存在するある特徴的な人物のことであると説明されています。

    どういうことかと言うと、ものすごく腰の曲がったおばあちゃんや、髪の毛を真っ白に染めて町の名物になっている男性、いつもスーパーで大声を張り上げているおばちゃんなど、その街特有の有名人がいるものだと思います。

     

    主人公は、「むらさきのスカートの女」のことを、そんな街で有名なちょっと変わった人物として表現しています。

     

    街の公園で、子供たちから遊びの標的として「むらさきのスカートの女」を利用していたり、いつも公園で同じカレーパンを食べていたり、これまたいつも同じ公園で求人情報誌を見ていたりと、一風変った人物であるということを説明しています。

     

    「うわ、確かに変な女性だな」

    という印象がバッチリ植え付けられた状態で、序盤を終了します。

     

     

    あまりにも知り過ぎている狂気に気がつき始める

     

    この主人公は、こんなに変わったところがたくさんある「むらさきのスカートの女」と友達になりたいと思っています。

    そして、なんでそんなことまで知ってるの?

    と思うようなことまで事細かに知っているのです。

     

    毎日同じ「むらさきのスカート」だという事は周知の事実なので置いておくとして、いつも同じカレーパンを食べているとか、いつ就職活動の面接を受けたとか。その他にも、何月はどんな仕事をしていて、その仕事を辞めた後はこんな仕事の面接をしたといったかなりパーソナルな情報まで網羅しています。

     

    それだけでなく、いつも公園に現れる時間帯を把握していて、毎週発売される求人情報誌を主人公自らが用意しているのです。 1度も話しかけたことがない相手に対して、ここまでいろんなことを詮索するのは非常におかしな状態だと思います。

     

    ナレーションとして、「むらさきのスカートの女」のことを事細かに説明しているのと思いきや、あくまで1人称は主人公の女性です。

    つまり、主人公の女性の視点、思考によって「むらさきのスカートの女」のことを説明しているわけです。これって、普通に考えるとものすごく怖いことですよね。

     

    主人公の女性ももちろん仕事をしています。ですから、日中時間が取れるはずもありません。しかし、これほどパーソナルな情報を駆使えているところを見ると、もはや 10日だと言えるのではないでしょうか。

     

    物語の序盤では、そんなに気にはならなかったのですが、徐々にこの主人公に対する狂気に気がついていきます。もしかしたら、「むらさきのスカートの女」ではなく、この主人公の方がおかしいんじゃないか。そんなふうに物語が展開されて行きます。

     

     

    「わたし」に対する説明が少なく先入観を持ってしまう

     

    この作品の面白いところは、主人公の私に対する説明が非常に少ないと言うところです。

    読者は無意識のうちに、作者の仕掛けた罠に引っかかってしまうそんな内容になっています。

    序盤では、主人公がどこで働いているのかどんな生活をしているのか全く判りません。当然、真っ当に働いている人だろう、特に変わったところもない普通の一般女性だろうというふうに先入観を持って読み進めてしまうわけです。

     

    ミステリーの世界では、このように説明をあえて省き読者の思考を誘導する手法のことを、「叙述トリック」といいます。

    通常の小説では、あまり見ない手法ですが、この作品も叙述トリックに似た誘導するような手法が活用されています。

    私自身が、そのような誘導手法や、わかりにくい伏線にはなかなか気づかないタイプなので、すっかり騙されてしまいました。

     

    騙されないように読むこともできますが、すんなり作者の狙い通り騙された方が楽しめる作品も多くあると思っています。

    ですから私は、無理に詮索することなくスピードに乗って自分の思うように読書を進めるようにしています。

    この辺の解釈は、人それぞれかもしれませんね。

     

    ともあれこの作品は、最初は普通通りを見つめていても、途中でおやおや?

    となるような作品になっています。

    大どんでん返しとまではいきませんが、物語の中で違和感やギャップを楽しむ作品としては充分面白いものだと思います。

     

     

    強烈に面白い作品を読んだ読了感 

     

    小説を読んでいると、たまにあるのですが、読み終わった後に「強烈に面白い作品を読んだと」いうような感覚になれることがあります。この「むらさきのスカートの女」はまさにそんな作品でした。

     

    物語の序盤では、「むらさきのスカートの女」に対する情報が大量に詰め込まれていて、その他に関する説明は非常に少ないです。

    だからこそ、読者はいろんなことを想像して世界観を作り上げていきます。

    中盤から後半にかけて、様々なことが明らかになっていくので、読む手が止まらなくなってしまいました。

    こんな感じで、序盤から中盤にかけてずっと物語に引き込まれる作品と言うのは、非常に少ないと感じます。

     

    表紙には、「むらさきのスカート」に身を包んだ4本の足が描かれています。

    つまり、2人の女性が1つのスカートに収まっているようなデザインになっているのです。

     

    このデザインの意味が、本書を読み終えたときに「あっ!」とわかるようにできています。

    このようなデザインと、内容の融合っていうのは非常に面白いなぁと思います。

    物語の細かい設定や、結末をわかった上でも、もう一度読みたいと思う作品でした。

     

     

    終わりに

     

    久しぶりに心の底から面白いと思える作品に出会いました。

    なかなか1冊の本の中で、最初から最後まで引き込まれるような作品は数少ないと思っています。

    そして「むらさきのスカートの女」は、一冊のページ数も200ページ以下で非常にライトに読みきれるボリュームになっています。

    物語や設定について細かいところを多く語らない。

    だからこそ少ないボリュームでも読者を惹きつける魅力があるのかもしれません。

     

    何もかも説明されるとくどいし、説明が少なすぎると物語に感情を入れ込むことがなかなかできません。この「むらさきのスカートの女」は、そんな絶妙なボリュームを導き出していると言っても過言ではありません。

    きっと、多くの読者に楽しんでいただける作品として、今後も読み次がれていく作品ではないでしょうか。

     

    最後までお読みいただき、ありがとうございます。

    よろしければ、その他の書評記事も読んでいってください。

    今日も、てかてんの書斎に遊びに来てくれてありがとうございました。

     

    では、また。

     

     

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