インターネット上で、向上心が高く様々なことを進んで学んでいる人のことを「意識高い系」なんて呼び方をすることがあります。
「勉強していることがわかる投稿をしている」とか「読書に関する投稿をしている」とか「難しいことを投稿している」とか、そのあたりが当てはまる条件でしょうか。
ネット上で、知識がある人や努力している人を誹謗中傷するために「意識高い系」という言葉でくくりつけてしまうのはちょっと問題があると個人的に思います。
大切なのは、それが「意識高い系」=「意識が高いように見えるだけ」なのか、「本当に意識が高くさらなるステップアップをしている」のか。
自己顕示欲の延長で「意識が高いように見せたい」という人には、「意識高い系」と言われてしまっても仕方がないと思いますが、「本当に意識が高い人」までまとめられてしまうのは残念です。
ということで、今回は「意識が高いことを悪く言う日本の風潮について」というテーマで、てかてんが思うところをまとめていきたいと思います。
今回のトピックはこちら。
「意識高い系」と「意識が高い人」の違い
ネットは匿名で誹謗中傷ができるせいで簡単に他人を悪く言ってしまう
「意識高い系」という言葉のせいで、有益な情報がストップしている?
終わりに
「意識高い系」と「意識が高い人」の違い
これらをまとめて「意識高い系」と言ってしまうのは、ちょっとおかしいと言わざるを得ないと思います。
ネットは匿名で誹謗中傷ができるせいで簡単に他人を悪く言ってしまう
そもそも意識高い系に限らず、インターネット上では簡単に誹謗中傷を書くことができてしまうことに問題があります。
インターネット上では、匿名でコメントできてしまいますし、顔はもちろん住所なんかもわかりませんから、相手を攻撃するにも関わらず自分は守れてしまうのです。
この環境をスマホやパソコンなどから簡単に使えてしまうせいで、相手を簡単に傷付けることができてしまいます。
これを裏返すと、簡単に誹謗中傷できるから言ってしまっていることも含まれるということになります。
本来口に出してまでいうつもりじゃなかったことも、ネットだから言ってしまう。
ただ努力していて、それをSNSなどでシェアしようとしているだけの人に対して、「ただの意識高い系じゃん」と言えてしまう。
こうして誕生した誹謗中傷の言葉は、インターネット上にたくさん溢れかえっていると思います。
このような誹謗中傷を恐れて、本来はSNSでシェアしたい情報も、自分の中に止めてしまっていることが世の中にはたくさんあるのではないでしょうか?
きっと、もっと勉強のこととか、読書のこと、今思いついているアイディアのこと、仕事のことなど、世の中とシェアしたいことがいっぱいあるはずです。
インターネットの治安が悪いせいで、こうした「アウトプットしたい情報」がストップしてしまっている現状には問題を感じます。
「意識高い系」という言葉のせいで、有益な情報がストップしている?
前述の内容ですが、「本来共有したい有益な情報」が、個人の心の中に留まっているということについて、最後に考えてみます。
インターネットは、大したことない情報から本当に有益な情報まで山のようにあります。
これは、誰もが簡単に情報発信できるから、なのですが、全てが有益な情報でなくても良いと私は思っています。
理由は、
「有益な情報以外はネットにアップしてはならない」
ということになれば、個人が簡単に情報をアップすることはできなくなってしまいます。
その延長にあるのは、せっかくのインターネットに情報があまりアップされなくなり、情報の数が減ることによって有益な情報の数も減ってしまいます。
それだけでなく、個人の日記やちょっとした旅行の記録、プロではない人が書いた映画や小説のレビューなどが有益でなければ、そういった娯楽の記事がなくなってしまうのも寂しいところです。
あなたにとっては一見意味のない情報でも、他の誰かは楽しんでいたり、感動したりしている可能性は十分にある。
つまり、どんな情報であれ、インターネットに発信しようとしているのなら、それは誹謗中傷の対象ではなくむしろ褒めてあげたいところです。
結局何が言いたかったのかというと、
「意識高い系」と言われてしまうことに恐れ、ネットに発信したい情報を抑えてしまっている人がいるとしたら、それは「有益になるかもしれなかった情報をストップしている」ということになるのでは?
ということです。
誰からも罵倒されることなく、自分の好きなことをたくさん書くことのできる時代であれば、もっとたくさん面白い情報がインターネット上に増えてくるのではないかと思ってなりません。
終わりに
「意識高い系」から始まって、話はインターネットの情報までかなり逸れていってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。
根本として言いたいのは、
「人を誹謗中傷することによって、もっと他にも大きな影響が出ている」ということと、「せっかく情報発信・アウトプットをする気持ちを崩してしまっているかも?」ということに気がついて欲しい。
そんな思いで書いていきました。
もちろん、言いたいことを何でもかんでも言っていいわけではありません。
それによって傷つく人もいるでしょうから。
こんなにも手軽にインターネットが使える時代だからこそ、その活用法を考え、自分の考えを世界中とシェアするのも楽しいことだと思います。
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