読書感想文によって読書家が少なくなっている可能性がある

 

 

 

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  学校教育では、読書感想文や、朝の10分間読書といった、子供達に読書をさせるための活動が行われています。
 
  読書感想文は、宿題という形で嫌でもやらなければならないものであり、苦手な本を読んで苦手な作文を書くことに抵抗があった人も多いのではないでしょうか。
 
  もちろん、放っておいて読書をするようになることも少ないので、きっかけを与えていることになります。読書感想文を書くために、図書館に行ったり書店に行ったりして、本と出会う機会を与えているのですね。
 
  きっかけを与えているという視点で見ていくと、読書感想文も朝の10分間読書も、素晴らしい活動だと言えます。しかし、嫌々本を読んだり、感想文を書かされたりという印象がある子供達にとっては、そこから読書が苦手になった、嫌いになったということにもなりかねません。
 
  そこで今回は、「読書感想文が読書家を減らしている原因なのでは?」という視点で考えていきたいと思います。
 
 
 
 
 
 

■ 読書を強制されたことで、本を嫌いになっている可能性がある

 
 
 
  子供の頃の経験というのは、実はかなり大きく今の私達に影響を与えています。
 
  例えば、子供の頃に苦手だった友達がいたとすると、現在でもその友達と同じようなタイプの人を嫌う傾向があります。いわゆるヤンキータイプの人が苦手だったとすると、今でもきっとヤンキータイプの人が苦手なはずです。他にも、苦手だった計算が今でも苦手、苦手だった暗記が今でも苦手、苦手だった食べ物が今でも苦手ということは、よくあることです。
 
  それと同様に、子供の頃に無理強いをされて読書感想文を書かされたと印象がある人は、きっと読書が苦手になっているはずです。
 
  
  ベストセラー作家の本田健さんも、著作の中で、子供の頃の体験が今の私達に影響を与えることを書かれています。
 
  特に、子供の頃に両親とどのような関係を築いていたかが大きく影響するのだそうです。
 
 
  少し話は逸れましたが、子供の頃に読書感想文を強制されたり、朝の10分間読書を強制されたりしたことで、読書に苦手意識が植えつけられてしまっている可能性があります。
 
  全国的に取り組まれている読書感想文によって、将来の読書家が減ってしまっているといっても過言ではないかもしれないのです。
 
  少なくとも、読書感想文が嫌だった、めんどくさかった、苦手だったという人は、多数派です。よって、子供の頃の読書感想文が、読書に苦手意識を植え付けている可能性は高いのです。
 
 
 
 
 
 

■ 反対に、読書を強制されたことで、読書の楽しみを知ることもある

 
 
 
 
  読書感想文が読書家を減らしているのでは?というマイナスの仮説を考察したところで、プラスの側面についても考えていきましょう。
 
  子供の頃に読書をさせようとする取り組みの中で、読書感想文や朝の10分間読書で「運命の一冊に出会った」という人も中にはいます。
  
  嫌々ながら読書に取り組みながら、読書の面白さに気づき、そこから読書好きになっていった人もいるからですね。
 
  前述した通り、子供にとっては宿題や強制的にやらされることは楽しいものではありません。「やらされている」から嫌いになってしまうのです。
 
  しかし、読書感想文や朝の10分間読書を、自発的に楽しめる子供もいますから、そういった子供達は、良いきっかけとして読書家の道を歩み始めるケースもあるということ。つまり、一概に読書感想文や朝の10分間読書が、悪い影響を与えているだけではないということです。
 
 読書感想文や朝の10分間読書によって、読書が嫌いになってしまった人の割合の方が多いと思われますが、それでも少数の子供には「読書が好きになるきっかけ」を与えることができている。
 
 問題なのは、そのアプローチの仕方だけなのです。読書感想文や朝の10分間読書を「強制的」にやらせるのではなく、本と出会う1つの手段として促す。すべての子供達に強制的にやらせるからこそ、苦手意識を持ってしまう子供が出てくるのだと思います。
 
 
 
 学校教育では、出来るだけ多くの経験を子供達にさせるべきで、様々な経験から「将来やりたいこと」や「趣味に繋がるもの」をみつけていくことができます。その活動の1つとして、読書感想文を書かせることや、朝の10分間読書に取り組むことは素晴らしいことです。出来ればもう少しだけ、さりげなく読書を薦められるような仕組みができればいいなと思う次第です。
 
 
 
 
 
 

■ 終わりに

 
 
  読書は、自発的に行ってこそ、その楽しみが理解できるものだと思っています。自分で好きな本を探して、それを買ったり借りたりして読んでみる。誰に強制されるわけでもなく、ただ興味があるから読んでみる。だからこそ、本の面白さや深みが分かって、もっと本を読みたくなる。
 
 読書に限らず、どんな些細な趣味であっても同じことです。誰かにさせられていることは、好きなことでも趣味でもなんでもありません。やりたくないのにやっているという気持ちが少しでもあると、本質的に楽しむことはできません。
 
 学校教育は、幼い子供達にとってとてつもなく大きな影響を与えます。学校でどんな人と友達になって、どんなおもしろい経験をして、辛い経験をして、何を学んでくるのか。子供達は、自分で考えて新しいことにチャレンジするよりも、大人である先生や親御さんの影響を受けて何かにチャレンジすることのほうが圧倒的に多い。つまり、親や教師の行動で、子供達の興味や学びの幅が決まるのです。
 
 何も新しいことを体験させない親や教師の下では、子供達は新しい刺激を受けることができず、周囲の友達のやっていることを真似てみながら楽しみを探すことになります。それだけだと、視野の狭い大人に成長してしまう可能性すらあるのです。
 
 
 小さなころに経験したことというのは、人生に影響を与えるといっても過言ではありません。だからこそ、子どもの頃に読書感想文や朝の10分間読書という建前で、本を読むことを強制してはならないのではないかと思います。読書に対してマイナスなイメージを持ってしまう可能性が少しでもある以上、もう少し違ったアプローチで読書をさせてあげる努力が必要だと言えます。
 
 

 

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