「スクールカースト殺人教室」
堀内 公太朗 著
こんにちは、てかてん(@tekaten)です。
今回は、ホラー作家の堀内公太朗さんが「高校を舞台にしたバトルロワイヤル」を描いた「スクールカースト殺人教室」を書評します。
堀内さんは、現代の裏に隠れるホラーを演出する作品が多く、現代の若い人たちには理解しやすい設定が多いです。
インターネット掲示板を扱った「公開処刑人森のくまさん」もかなり楽しめた作品でした。
スクールカースト殺人教室だは、どこの学校でもあり得る、生徒間のパワーバランスをテーマに、
いじめがエスカレートしたその先をリアルに描いています。
ちょっとリアル過ぎて「恐怖」を感じるところも、堀内さんの作品らしさ。
ホラーものを読みたいあなたにオススメの一冊です。
それでは、書評していきます。
今回のトピックはこちら!
href=”#スクールカーストとは”>スクールカーストとは?
スクールカーストとは?
そもそも「スクールカースト」とは何かからご説明します。
中学や高校の社会の授業でも取り扱われていますので、皆さんも聞いたことはあるのではないでしょうか。
身分制度ですから、階級のようなものが存在し、下位の者は上位の者に逆らえない仕組みが文化として成立してしまっているのです。
この「カースト」が学校生活でも自然に発生してしまう現象が「スクールカースト」です。
学校生活の中では、友達同士のグループがいくつか形成されていきます。
自然と同じような性格・発言力・影響力を持った生徒がグループを形成していくので、クラスの中で最も発言力や影響力、いわゆる「力」を持ったグループが現れます。
最上位の力を持ったグループがクラスの決定権を握ってしまうこともあり、ある意味クラスを征服しているような状況に陥ります。
比較的おとなしい生徒が集まるグループや、最上位のグループに比べて発言力や影響力に劣るグループは、このメンバーに支配されているような状況になってしまうのですね。
僕の学生時代にも記憶があります。
「スクールカースト殺人教室」では、このスクールカーストの「度が過ぎている」クラスの模様をリアルに描いています。
最上位のグループは、力を持っているだけでなく、かなり非情な行動に出てしまいます。
いじめでは済まされないような行動をとってしまうんですね。
しかし、担任教師はそのスクールカーストを利用して、自らの立場を確立しようと考えます。
自分が楽にクラス運営をするなら、まず頂点を握っておこうというもの。
スクールカースト上位のグループの主要メンバーの肩を持ち、距離を縮め、一緒になってスクールカーストを成長させてしまうのです。
あってはならないことですよね・・・
そこは小説のフィクションで描く世界なので、少し過剰であってもハラハラドキドキを楽しむことができます。
堀内さんが描く世界観の楽しみ方の一つですね。
教師の立場で見るスクールカースト
スクールカーストは、教師の立場で考えても非常に厄介なものでしょう。
スクールカーストの存在によって、クラスの中に「一体感」「暗黙の了解」が生まれてしまうので、教師としてはクラス運営がしづらくなります。
しかも、カースト上位からのいじめや学級のモラルを崩すような行動を解決しようとしても、なかなかうまくいくものではありません。
カースト上位に注意をしても言う事は聞かないケースが多く、むしろ状況を悪化させかねません。
反対に、教師として巻き込まれることを避けるために「静観」してしまうと、カースト上位の思うツボです。
どういう行動をしてもうまくいかない・・・とジレンマに陥ってしまい、教師が精神的にやられてしまうことも少なくないのかもしれません。
本書に登場する担任教師は、自分が働く環境を守るため、自分の立場を守るためにカースト上位に媚びてしまうわけですが、逃げ道の一つになってしまっているのかもしれませんね・・・
難しい問題です。
生徒の立場で見るスクールカースト
やはり、生徒の立場で見るスクールカーストが最もつらいものになると思います。
カースト上位の人間からすると、
◯ 冗談につもりで・・・
◯ ふざけあっているだけで・・・
◯ これくらい大丈夫だろう・・・
と非常に安易な気持ちで悪事を働いてしまうわけです。
しかしながら、やられる被害者となる生徒にとっては一生残る心の傷になってしまうことも少なくない。
軽はずみで、遊びの延長だったのかもしれませんが、被害者にとっては人生を変えられてしまったきっかけになっているかもしれない。
これは、非常に大きく深い問題です。
「やっている側」と「やられる側」では、同じ出来事を通しても受け取り方や感じ方が全く異なるのは当然のことです。
被害者側からすれば、
カースト上位が大声で話している姿も、授業中に誰かをからかう瞬間も、平気で遅刻してきたりルールを破ったりする姿も、
すべて「恐怖」に写ってしまうこともあるのですから。
誰しも抱える「負の感情」がたどり着く先が見える
誰しも「負の感情」抱えていきていると思います。色んな背景はあるものの、少なからず誰にでもあるものです。
それを制御できるのか、うまくやり過ごせるのかが、人間力ではないかと。
そんな負の感情をリアルに描いたのが「スクールカースト殺人教室」です。
登場人物一人一人に、それぞれの闇があります。
いじめられている生徒には、いじめに悩む心の深い闇があり、
クラスを立て直そうと画策する学級委員にも、その裏に秘められた闇があります。
前述したように、担任の先生にも、自分のことだけ考えてクラス運営を優位に進めようとする心の闇があるのです。
それぞれの闇がぶつかり合い、時には魂胆を隠しながら悪い方向へと進んでいきます。
私は、スクールカースト殺人事件を読みながら、自分の心にある闇についても考えさせられました。
すべてにおいて正しくいられるほど、人間は強く無いし、だからこそ間違いもあるのだと感じますね。
人に対して苛立ちを覚えたり、時には恨みを覚えたり。自分が楽をしようと画策したり、ずるい方法を考えたり。自分の中でも色んな気持ちの戦いがあると感じます。
そこでどれだけ自分を律することができるのか。
現代を生きる人たちにとって、必須の能力であり、課題でもありますね。
本当に様々なことを考えさせられます。
現代社会の問題についても考える一冊
まさに、現代社会が抱える問題が「パワーバランス」です。
スクールカーストのみならず、家庭の中でもパワーバランスがあるし、会社生活でもカーストがあると言えます。
そんな中で、みんなが生き生きと、自信を持って物事に取り組むためには、「不要なカースト」は排除すべきだと思います。
私利私欲のために力や権力を振りかざす上下関係の存在こそ、不要なカーストです。
経験値を持った人、知識や実績を持った人が発言力を持つことは、組織として必要です。組織を正しく、そして目指すビジョンに向かって導くためにはある程度のパワーバランスが必要です。
しかし、スクールカーストをはじめとした上下関係や階級のような差別化は、不要だと思うわけです。
みんなが自由に発想し、発言できれば、もっといろいろなサービスが生まれたり、イノベーションが生まれたりするのだと思います。
不要なカーストによって、個人の発言に制限がかけられるのなら、世の中の発展すら阻害しているのでは?と言及したいほどです。
とはいえ、上のものからカースト上位の人間に指導を入れても、カーストがより強固になってしまうケースも少なくありません。
解決の手段が明確でないからこそ、大きな問題として根を生やしているのですね。
終わりに
本書を読んで感じたこと、考察したことがメインになりましたね。
それくらい、物語としての面白さとは別に「現代に対する強いメッセージ性」を感じました。
スクールカースト殺人事件を読んで、皆さんはどう感じるでしょうか。
この辺りも、感じ方が違いますから、読書会の議論ネタとして取り上げても良いのかもしれませんね。
今日も、てかてんの書斎に遊びに来てくれてありがとうございました。
では、また。
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